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白根大凧随筆

白根大凧随筆

「白根大凧合戦 昭和・平成・そして令和へ」

水戸部クリニック 院長 水戸部彰彦

令和元年の白根大凧合戦は、大凧優勝の部は、「本新蝶組」、技能の部は、「五郎組」、巻凧の部は、優勝の部、技能の部ともに、「七生会」での結果を残し閉幕となった。

今回、私の凧合戦の私見を書きたいと思います。薫風かおる5月、田植えを終えた水田は、輝きを取り戻し、爽やかな北風(凧風)が吹くころ、大凧作成は、各組が仕上げの時期に入る

商店街には、大凧合戦の幟「のぼり」が立ち、南区の人達は、益々大凧合戦の気運が高まる。なぜこんなにも大凧合戦が好きなのだろうか。それは、中ノ口川に秘密がある。「中ノ口川の奇跡」とも言われている川幅80m、一ノ町から二之町あたり辺りの川の流れが、右から左へゆるく曲がっている。

東軍(旧白根)から先に大凧を揚げ、そのゆるいカーブの位置に、川面スレスレに凧を停止する。その後、少し遅れて、西軍(旧味方)が大凧を高く揚げ、そして頭から急降下で、大凧が被ってくる。そして、大凧にかかった瞬間、両手から全身に電流が突き抜けるような感覚を経験すると、あなたは紛れもなく、「凧〇チ」、「イカ〇カ」です。

私が小学生の時、今から50年も前の話になりますが、大凧合戦期間が7日から10日ほどあり、大凧の枚数も各組10から15枚程度で、しかも凧風(北風)が吹かないと揚げなかったのですが、その当時は、大凧より、白根神社境内にある露店が楽しかったです。水ヨーヨー、射的、輪投げ、型抜き、ポッポ焼き、焼きそば等々、またお金を使わなくても、そこに居るだけで、楽しかったです。また、見世物小屋やサーカス、お化け屋敷も境内の中にあり、特に、夜のカーバイトの明かりの中、見世物小屋の客寄せの口上は、今でも記憶にあり、横断幕は怖かったです。ただ、今改めて、あの神社の敷地内によく納まっていたと思います。

そして、時は令和。ここ数年、大凧合戦の見物客も多く、大凧の枚数も各組とも、30枚程になっています。文化財に指定され、観光の目玉となっています。

昭和49年、小学生は、地域学習の一つとして、地区単位、学校単位で、大凧合戦の前日に子供凧合戦が開催されています。これをきっかけに、将来地元に残り、新潟市はもちろん、新潟県を担ってゆく人材になって欲しいです。

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