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白根大凧随筆

白根大凧随筆

「私も聖火ランナーでした」

吉沢医院 院長 吉沢浩志

先の東京オリンピック1964の聖火は8月21日にオリンピアのヘラ神殿跡で採火され、海外聖火リレーを経て9月7日に沖縄に到着し、第1走者は宮城勇氏が務めた。9日沖縄を出発した聖火号(全日空)は鹿児島、宮崎に寄港後千歳に到着し、聖火リレーの3起点となった。北海道からのコースは青森で2手に分かれ、計4コースで東京に向かって10月7日から9日にかけて東京都庁に集められ、9日皇居前で集火式が行われた。翌10日国立競技場まで7名の正走者がリレーして100,713人目の最終走者は坂井義則氏であった。氏は広島原爆投下1時間半後の昭和20年8月6日に広島県三次市に生まれたとWikipediaにある。平成26年8月6日69歳で逝去され、産経ニュースは国内外のメディアが「アトミック・ボーイ(原爆の子)」と呼び、戦後復興と平和の象徴だったと報じた。

新潟県は第3コースで山形、新潟、群馬の順にリレーされ、白根市を10月2日に通過した。中ノ口川に架かる大野大橋の上で黒埼村から白根市に引き継がれ、三条市に届けられた。当時はまだ未舗装だった新国道の大野大橋から新飯田までを13区間に区切って、正走者1名、副走者2名を新設2年目の白根高校運動部員から選び、随走者20名の中学生と共にリレーした。

幸運なことに第1正走者が私で身に付けた品々とトーチを頂けた。その品々は無くしたが、トーチは大切に持ち続けて平成9年に医院を開業した際に白根市へ寄付し、今はカルチャーセンターの展示棚にある。昭和49年4月1日厚生会館での結婚式(月曜日、会館2人目)に体育協会の堤会長が火薬を詰め直して走ってくださってキャンドル点火の演出に一役買ったこともある。

新潟県での東京2020オリンピック聖火リレーは6月5日(金)・6日(土)の2日間で富山、新潟、山形の順にリレーされる。

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